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7月23日(土)24日(日)科長神社夏祭りが行われました。
~科長神社のご紹介~
小野妹子墓の近くにある科長神社は、平安時代の書物「延喜式」に記されている
式内社と呼ばれる由緒ある神社です。
級長津彦命(しながつひこのみこと)、級長津姫命(しながつひめのみこと)など
8柱がまつられており、八社大明神と呼ばれています。
~科長神社夏祭りの行事について~
23日は、太子町山田地区の大道、永田、後屋、東條、西の5台の
だんじりが、太子町内のあちこちを練り歩く「地下(じげ)まわり」が
行われました。
太鼓の音と「おーたー、おーたー」のかけ声が各地に響き渡りました。
宵宮の夜には、太子町役場駐車場に5台のだんじりが集まり、
順にやりまわしが行われました。
24日は、科長神社にて「本宮」が行われ、5台のだんじりの宮入、
三番叟、にわか、八社太鼓、神輿の奉納を行いました。
科長神社の境内では、大勢の人でとてもにぎわっていました。
~だんじりのご紹介~
・大道(だいどう)町のだんじり
小屋根の内側に文化4年(1807年)と記載された銘板が
残っています。大道町のだんじりは、大阪府内で1番古い石川型の
だんじりだと言われています。
今年は、だんじり全体に笹や大きなモールの装飾がつけられ、
とてもきれいでした。
・永田(ながた)町のだんじり
大工の絹井嘉七(きぬいかしち)が製作した岸和田型改造だんじりです。
小屋根の下部には、大坂冬の陣の様子が彫られています。
永田町は、他のだんじりと違い、夜になると提灯の灯りを消したり
つけたりしながら、やりまわしを行っていました。
・西(にし)町のだんじり
天保3年(1832年)に製作されただんじりです。
当時有名であった彫師の相野伊兵衛(あいのいへい)が彫った、
大屋根のしかめや車体の七福神、虹梁(こうりょう)、唐子が
西町のだんじりの自慢です。
お客さんに紅白のお餅をまいたり、明るく元気のある西町でした。
・後屋(ごや)町のだんじり
江戸時代末期に製作された船形のだんじりで、大阪府内にある
3台の船形だんじりの1台になります。船形のだんじりが上下に
進んでいく様子が、荒波の中で船が揺れて進んでいる姿に見え、
表現力が見事でした。
・東條(ひがんじょう)町のだんじり
船形のだんじりで、平成27年の修復時に大屋根に「天明七未年」
という墨書きが発見され、天明7年(1787年)制作となり、
大阪府で最古のだんじりだそうです。
激しい鳴り物が響き渡り、大波の上に乗っているような表現が
素晴らしかったです。
宮入
5台のだんじりが勢ぞろいして、科長神社で五穀豊穣を祈願しました。
三番叟(さんばそう)
能楽から始まったといわれています。
役は、お面をつけず、舞台の上で一歩一歩足を踏み込むと、
カチャっと音が鳴り響き、軽快、活発に舞っていました。
にわか( 俄 )
「にわか」とは、即興の芝居、芸や漫才をすることです。
今年は、大道町会の青年団が披露しました。
八社太鼓
子供たちが真剣な表情で力いっぱい太鼓をたたき、一生懸命頑張っていました。
神輿
畑と葉室地区で神輿を担ぎ、科長神社から離れた
御旅所(おたびじょ)へ向かいます。
御旅所(おたびじょ)
ご神体を乗せた神輿が休憩をする場所だそうです。
蝉が鳴く真夏のこの時期、この2日間はとても気合の入った
あつーい夏祭りでした。