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写真でご案内!「源氏三代墓から叡福寺コース」

2014.07.06

平成26年6月某日 晴れ時々くもり
太子町観光ボランティアガイド「太子街人(ガイド)の会」さんに
太子町観光・まちづくり協会ホームページでも紹介しています、
「源氏三代墓から叡福寺コース」を案内していただきました!

近鉄上ノ太子駅で待ち合わせをして…
まずは河内源氏ゆかりの壺井八幡宮へ!(壺井八幡宮は羽曳野市です)
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壺井八幡宮に到着!
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階段をのぼる前に…
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壺井水があります。
源義家が弓を突いたところから、清水が湧き出したと伝えられています。
神社の名前の由来になったんですよ。

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中はとてもきれい

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三つ葉葵の御紋が!
兵火で荒廃した壺井八幡宮を徳川綱吉が再建したからだそう。
徳川は清和源氏の末裔とも言われています。

しばらく歩いて…
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2代目源頼義墓は菩提寺であった通法寺跡にあります。

つづいて源義家墓と源頼信墓へ… (ここから太子町です)
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山登りに来たかのよう…

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3代目の源頼家墓

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1代目の源頼信墓

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大僧正隆光墓
…お犬将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」を公布したのが、
このお坊さんだったらしいです。

次の目的地まで歩きます
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太子町を流れる太井川
春にはさくらが咲くところも…

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泥掛地蔵に到着!

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泥掛地蔵
その昔、裏にある蓮池の泥をこのお地蔵さんに塗ると
できもの・はれものが治ると言われていたそうです。

ん?ミニたいしくん!?…どこからついてきたのかな?

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蓮池らしき沼が実際にあります…
ミニたいしくん、泥をとりたそう。
危ないからダメだよ!

戦前までは泥を塗ってお願いごとをする習慣が
あったようですが、現在は泥を塗ったりせず
地元の人に大切に祭られています。

そして…西方院へ
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西方院は
聖徳太子の乳母であった月益姫、日益姫、玉照姫
(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘とされる)の3人が、
剃髪して仏門に入り、墓前にお堂を建立して、
太子の冥福を祈ったのが寺の始まりと伝えられています。

西方院は
春には太子聖燈会(しょうとうえ)で境内が
ろうそくの灯火によりライトアップされます。
幻想的なお庭をながめていると時間を忘れてしまいます。
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ライトアップされた西方院 (第7回太子聖燈会:平成26年4月19日(土)・20日(日)開催)

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寺の南側の墓地内には、
この三尼公の御廟と伝えられる3基の石塔が残されています。

西方院のHPはコチラ

次は叡福寺へ向かいます
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西方院から叡福寺を見ると、聖徳太子を見守る乳母の気持ちに
触れることができます…ここから聖徳太子御廟を見守ってたのかな?

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この写真では伝えきれないのが残念です!

気を付けて道路を渡って…叡福寺へ!
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叡福寺は
聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立され、
奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられています。
聖徳太子信仰の霊場として発展しました。

織田信長の兵火によって、一時は全山が焼失しましたが、
豊臣秀頼の聖霊殿再建に始まり、順次伽藍が再興されました。

平安時代には、多くの天皇・皇族が参詣しており、日本仏教の祖とも言うべき
聖徳太子の墓所があることから空海・親鸞・日蓮などの新仏教の
開祖となった僧たちもこの寺に参籠しました。

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南大門

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境内

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聖徳太子墓に向かって左側にあるのが多宝塔です。

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金堂
通常お寺は門から正面奥に金堂があるそうなのですが、
叡福寺では聖徳太子墓があります。

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聖霊殿
豊臣秀頼が再建したもので、御本尊は聖徳太子十六歳のときの御尊像です。
擬宝珠(ぎぼし:ねぎの頭みたな手すりの上についた飾り)には
豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼の名前が彫られています!

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聖徳太子墓
太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納められていると
伝えられることから、三骨一廟と呼ばれています。

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聖徳太子“廟窟偈碑”(びょうくつげひ) 
「一度参詣すれば迷いを離れ 必ず極楽に往生できる…」
と書いてあるそうです。(他にも書いてありますが…)
下が亀。右側には昇り龍、左側には降り龍が彫られています。

よし!…お参りしました!これで極楽に行けるかも……?

そして最後は太子・和みの広場へ!
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和みの広場にある松井塚古墳石棺。
太子町内の民家で井戸を掘る際に発見されこの場所に移設されたそうです。
…ホンモノらしいです。盗掘の跡…??でしょうか?少し削られています。

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聖徳太子墓石室模型。こんな風に石棺が並んでいたそうです。
奥がお母さん(穴穂部間人皇后)
右が太子
左がお嫁さん(膳郎女)

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…と、ここ太子・和みの広場で「源氏三代墓から叡福寺コース」は終了しました。
説明を受けながら、写真を撮りながらゆっくり歩いて、ちょうど3時間でした。

写真での簡単な紹介でしたが…くわしい歴史については
実際に太子町(壷井八幡宮~源頼義墓までは羽曳野市。
近鉄「上ノ太子駅」より太子町内まで巡ることができます。)にお越しいだだいて、
太子町ボランティアガイド「太子町街人(ガイド)の会」さんに
説明して頂いた方が、わかりやすくていろんなお話を聞くことができますよ!

太子町ボランティアガイド「太子街人(ガイド)の会」ブログはコチラ

太子町は今回紹介したところ以外にも見どころがいっぱい!
推古天皇陵、用明天皇陵、小野妹子墓……
まだまだあります!歴史の宝庫太子町にぜひお越しください!